うたかたの蔭にて-ユグラシアblog-

アクセスカウンタ

zoom RSS やさしさと、真実と、正義。

<<   作成日時 : 2006/08/21 18:24   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

 

誰も傷つけずにいきていきたい。
曲がったことをしないで、胸をはって正しいことだけをしていたい。
物事の真実をみつめていたい。

ありきたりな、ねがい。でもかなわない、願い。

やさしさと真実と正しさと。
この三つを守り抜いていきてゆけるものならば、どんなに心は苦しみから解放されるだろう。

正しさは時として残酷な結果を生む。
正しさを主張するならば、夏の間遊び暮らしたキリギリスにアリがえさを分け与える理由はない。
でも、もしアリにやさしさがあれば、今目の前で飢えて死なんとするキリギリスをみて助けないわけにはいかないだろう。たとえそれが間違った行為だとしても。
正義に生きる人には、時として真実が見えない。正しさをまっすぐ見つめていれば、その裏側の闇の存在などありえないのだ。キリスト教の正義がガリレオの唱えた真実を殺したように。
光だけが存在する世界なんて存在するわけもないのに。

真実も時として人の優しさを踏みにじる。誰かがさらけだしたくない闇を無理やり光のもとに引きずり出して、真実を手に入れても、むなしさばかりが残る。それならやさしい嘘でずっと隠してしまいたいのに。
真実の前には時に正義すらも踏みにじってしまう。“本当”を手に入れようとしているだけなのに、正しいことばかりではないこの世の中で、“ほんとう”を手に入れるのはとても難しいのだ。
犯罪の被害者は、自分たちの被害の背景なんてさらけ出してほしくはない、でも報道は全ての真実を伝えようとする。
それが正しいことかどうかは、誰にもほんとうはわからないのに。

やさしさを守り抜けば、正義とぶつかるときもある。正しさの定義は時代によって流され変化するし、自分の中にある正しさは、誰かを傷つけることもある。学生の頃教科書で読んだ「高瀬川」で、病に苦しみ死を願う兄を殺した弟の行為はやさしさが故、でもそれは正しいとは一概にはいえない。その正しさの定義だってひとによってことなるだろう。
やさしさは、また真実も覆い隠してしまう側面もある。あえて、本当のことを求めないのもひとつのやさしさのかたちである。暗い過去、誰かのために隠された真実。それは人の想いそのもの。必ずしも真実が全ての人の心を救うわけでもないし、かえって真実が重くのしかかることもある。事故で息子を失って失意の底にいる母親に、それが家庭環境になやんでの自殺だったことを伝えることは、一体誰を救うのだろう。死者さえも、それは救えないかもしれない。

いつも、私の中で三つの波がせめぎあっている。正しく生きたい。でも誰も傷つけたくない。でも真実を求める心だけは止めることができない。もし、世界が平和になれば、愛が全ての人に降り注げば、それはまっすぐにかなうのだろうか。そのために私はなにができるんだろう。
私は今日も空にうたう。

</font

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
正義
正義 正義(せいぎ)とは、あるべき姿に社会や人間を正そうとする信念。信念である以上、個々人や社会ごとによって正義は異なり、その正当性を巡って争いが繰り返された反省から、特に第二次世界大戦後、日本などで正義の妥当性そのものを疑う反省が現れた。一方正義のない状態では社会秩序が保たれないとの危惧から、ロ... ...続きを見る
法用語辞典100
2006/08/22 03:53

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
やさしさと、真実と、正義。 うたかたの蔭にて-ユグラシアblog-/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる