うたかたの蔭にて-ユグラシアblog-

アクセスカウンタ

zoom RSS まちと家。

<<   作成日時 : 2006/10/28 13:58   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0



仕事で京都に行った。
あたたかな家をもたない私は少女と呼べる時間の多くをここで過ごした。

といっても私が過ごした場所とはずいぶん離れている場所。
それでも、人の話す言葉や気を使う場所、定食ででてくる野菜とか、全部の空気感が、ちゃんと私の過ごした場所だって教えてくれた。

感傷なんていうほどのものはなかったけれど、親しんだ場所はとても私の中に安堵をもたらした。

帰りの飛行機で
「羽田空港到着ゲートは64番」
なんて聞いた時に、思わず「伊丹じゃなかったっけ!?」と寝ぼけていた私は焦り、数瞬後自分が今帰る場所は東京なんだと再認識したり。

灯りのともらない、一人の部屋に帰りながら、家について思った。

どれだけ、好きなもので埋めつくして生活を営んでも、私の住む場所は部屋で、家ではない。

家は、誰かと時間を共有する場所だ。
誰かが待つ、あたたかな場所。
ひょっとしたら、私が欲しがってやまないのは、それかもしれないな、と思った。
私が拒まれない場所。

金曜に久しぶりに向かった病院で、萎れた野菜のようだと言われた。
欲しいものはあるか、したいことはあるか、と問われ、何にもないことに気付いた。
生きてる実感はあるかと聞かれて笑っちゃったけど、そんなの認識しながら生きてないと答えると、深いため息が返ってきた。

新しいお薬の名前を言いながら先生は言う。
あなたには実感が必要だ。現実にいる、何かをしている実感を感じるように心がけなさい、と。

形として、実感のある場所や感触。私だって望んでやまない。

でもどうやって手にいれればいい。

私を好きだといって、束の間そばにいてさよならした男の人は、みな
「結局何にも助けてあげられなかったね」
とかみたいなことをいう。
別に助けなんて求めてないのに、一様に彼らは私のマイナス思考を否定して、明るい場所に引きずりだそうとする。

そんなのじゃない
どんなに重くて大切な言葉でも、私が欲しいのはそんなんじゃなかったのに。
ただ、抱きしめてここにいることの確さを教えてくれさえすれば、私はここにいることをちゃんとわかるのに。
同じ場所にあることを私はようやくわかるのに。

お互い気付かないまま、家族とも、彼らとも離れてしまった。

友人とはことばでも深い場所で心を交せる。
でも恋に目覚めた人はなぜあぁも一方通行なんだろう。

もし、今度人を好きになることがあったら、私から抱きしめよう。
つつみこむように相手を抱きしめよう。

その人がそこにあることの確さをかみしめながら、その人を愛してみよう。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
まちと家。 うたかたの蔭にて-ユグラシアblog-/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる