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zoom RSS 僕のなかの壊れていない部分

<<   作成日時 : 2006/10/21 20:56   >>

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私たちは生まれて、やがて死んでゆく。

生まれることは受動。
死んでゆくことは自動。

ではその間にはさまれた生はいったいなんなんだろう。

白石一文といえば、
「一瞬の光」
がよく知られている、わかりやすくない作家の一人だ。

一人称で語られる作品の主人公には、大抵感情移入しやすい、せめて常識で理解できる範囲の行動をとってくれそうなものだけど、この作品の主人公は多分ほとんどの人が感情移入しにくいだろう。

理知的で、しかし感情の方向も行動もとても孤独。

けれど、人の形の生活をして、ちゃんと彼女なんかもいる。

でも私たちからは彼自身の「生」すら満足にみてとれない

わかるのは誰かとの行為を通してはねかえってくる彼自身だけ。

曖昧な「自分」というものの「生」。

社会を構成する人との関係性の中でかろうじて空間に繋ぎとめられている生。

もし私たちが見ることができる彼の人生を言い表すならば、虚しいということだ

望まれて生まれ、望まれて生きてきたならば、初めからその関係性に守られているけど、もしそれらから繋がりをなくせば、いったい「自分」の「生」とはなんなのか。

彼の虚しさは、その一番最初の関係性での大きな喪失感と恐怖からきている。

本来なら温かな関係性の網目で満たされていたはずの胸にあいた穴。その欠落が彼を生きにくくしている。

思えば、生物的な「生」ではなく、私たちが日常考えている「生」とは、人との関係性の中に浮いている自我の充足なのだから。

だからといって、彼の生への虚しさが幼少期の関係性の欠落だと言われてしまうと、彼の虚しさと「生」を拒絶するような心もちに共感してしまった私はどうしようって感じである。結局そうなのか、そこから逃げられないのか。

答はなく、でも彼は生きていく。

そして私も生きていく。

死と生と幸福の、多分一番近くて遠い場所で。

僕のなかの壊れていない部分
僕のなかの壊れていない部分 (光文社文庫)

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