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zoom RSS くもりのひに憎しみの言葉を

<<   作成日時 : 2006/11/03 00:16   >>

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岩国まで五時間かかるらしい。そんなことを考えながら眠っていたら、くっきりした奇妙なゆめをみた。

曇りの日の街をひとりであるいている。
しってるようなしらないような町並み。建物はみな一様に曇りの空気に溶けこもうとしているかのような色で、はっきりとした形をもたず、じわりじわりと形を変えていたりする。

おぼろげな形のそれらには、しかし明確にことばがしるされている。黒い文字で。
『しねふなゆた』
きたない字。見ながら私は、あぁこれは幼稚園の裏側でみた落書きだと唐突に思い出す。ものごころもあやふやなころにも、死を願うほどの憎しみがあったのだと、私はフナユタ君を哀れんだ。
『田〇角榮を殺す』
『キチガ〇は街をでていけ』
幼い頃に街の片隅の廃ビルにかかれたスプレーの跡。
『お前はばい菌』
『お前のせいで』
『あんたさえいなくなればいい』
いつか自分に向けられたような言葉。

美しいものもなにもない言葉の海。
私は街をただ歩いていく。

いくつもの四つ角を見ながらまっすぐまっすぐ進んでいく。

空は相変わらずの曇りで、行き交う人は僅かで私はその人たちに目も向けない。

張り付けたような小さな活字。
『私は貴方を地に打ち捨て、二度と見返ることはない』
これは聖書の中の神の言葉だ。

学生生活の中に当たり前にキリスト教がついてきて、信じてもいない私は純粋に聖書をはしからはしまで物語として読んだ。そこにあった、憎しみはキリスト教の一般的な概念を見事すっとばしてくれた。

灰色の壁にぽつりぽつりと途切れることなく続く言葉。

『甘い救いの物語を待ってるうちに腐っていく肉だ』

筆跡が懐かしい。

あの憎しみは私にか、彼自身にか。

誰に向けられていたのか知るすべもないのだと眺めていると、低かった街並みがもっとも愛しい憎しみに向けて積み上がっていく。

まるで山を形作るみたいに、懐かしい筆跡を中心に巨大なビルができていく。反対側にもビルが育って道を埋めていく。

憎しみの言葉はまどのように、黒い染みとなって、いまや僅かな隙間をのこす壁にはりついている。

不毛な憎しみの渦と、しばし向き合って、世界の終わりかもしれないと私は呟いた。

その言葉だけは、朦朧としていた私の中に奇妙なリアリティをもって響いて。

私の足は自然と、僅かな終わりの亀裂に向かう。

壁を抜けると、何もない。

色も空間も全て。

「行きしなも帰りしなもなく佇んだ 我無彼無こここそ地獄」
といつか詠んだ歌を思い出す。

しかし、そこが地獄ではないことは分かっていた。

私はいる。
そして、私の前にははるか彼方の見えない道がある。

地獄では、ない。
そうして目覚めた私は、飛行機が無事に広島に着いたことにまずほっとして、ゆずジュースを飲み損ねたことをみみっちく悔しがった。

そして、見事な秋晴れの空をみながら、少しだけパンドラの匣のことを思った。

悪いものが全て出ていっても、まだ続くものがあるとすれば、それはまぎれもなく、希望そのものであることを。

私がここにある希望。
世界がここにあるという希望。

パンドラの匣は、次は何をだしてくれるのだろう。

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