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zoom RSS 棄てられていくすべてに。

<<   作成日時 : 2006/11/19 16:40   >>

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駅のラックに、当たり前のように無料の雑誌が並んで、翌日には会社のゴミ箱に捨てられてた。

毎日オフィスからは山のようなゴミがでて、音楽や映像が形をなくしていっている。

人の欲望は限りがなくて、その場限りの欲望を満たすことが、とても簡単になってしまった、世界。

簡単に手に入れられるから、簡単にすてられる。

この街にいれば、この手に届くものをとりまく生と死は、見えないようになっている。

私たちは、ブタバラと呼ばれ、消費されていくものが、どのように誰がブタバラにしたのか見つめることもなく。形の揃った人参の後ろの、ただ土にかえされる出来損ないに思いをはせることもない。

棄てられるメディアの来し方も行く末も、私たちの中には、何もない。

物語だってそうだ。
自ら失うことの少なくなった私たちは、苦労して何かを得る物語よりも、失う物語を好む。

大切な人やもの、その喪失と絶望を安全な場所でインスタントに消費し、痛みがわかる人間であることに安堵する。

そして棄てていく。

子供が欲しいとか、結婚したいとか、そういう欲望は種の遺伝子の命令で、それを果たすのは、何か『楽になる』というのに似ている。

遺伝子の縛りは、生存の関わる色々な場面で現れ、出産の痛みと連動する母性や、死をあたえることへの禁忌感と、自動的に手にはいるはずのものだった。
けれど、近しい生死の不在によって私たちの遺伝子の記憶は薄れていってるのかもしれない。

生んだ子を、産み出した母が殺す、何て種の縛りはそんなものだったのかと悲しくなってくる。

私は色んなことに鈍感だったから、一生懸命に世界に耳を澄ますけれど、悲しみばかりがきこえてくる。

どうしたら助けられるんだろう。

どうすれば棄てられるすべてのかけがえの無さを伝えられるんだろう。

私は無力で、思っていたほど大人でもなんでもなく。

またあの頃と同じように、窓に切り抜かれた狭い窓をみつめているだけなのだろうか。

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