うたかたの蔭にて-ユグラシアblog-

アクセスカウンタ

zoom RSS 殺すこと、を選ぶ日

<<   作成日時 : 2007/01/09 15:29   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0


子供のころ滑ってこけた。
すりむいて痛む手のひらで、蟻がつぶれていた。
手のひらの、こんな小さな傷で泣いてしまいそうになる私は
容赦の暇もない、幼い殺害者になった。

少し遠い山に狩猟に行く友に、ついていった高校生の私は
血を噴出しながらも歩いて生きようとした猪の目を見れなかった。
皮をとられて解体されていく過程を見つめる間、ずっと友の服を握っていた私は、
それでも肉を食べる生き物だ。

時々思い出す。
まぎれも容赦もない、殺しの現場。
それはペットや家族が死んでいくのとは全く異質だ。
それは穏やかな日常の一風景に溶け、
あるいは異様な緊迫感の中に閉ざされている。

蟻は殺される時、どれほどの痛みを覚えただろう。
猪は、血を吹いてなお歩む脚にどれほどの痛みを覚えただろう。

無意識の大きさで、食べるために殺した私は
いまや自分の手では、虫一匹殺せない。

自分が殺すものであることを知っているから。
自分の手をきれいにしていたいわけじゃない。
人は気持ちで生き物を殺せてしまう生き物だから。
戦争や、恨みや、快楽や、貪欲さで。
事情や、理屈や、価値観で。

たやすく、殺してしまうのだ。
その耳に痛みの音は聞こえなくなるのが、怖い。

猪だって悲痛な息吹をもらしながら息絶えた。
たまにお肉を食べながら、その死に顔を思いだす。
毛皮をはがれて、ばらばらにされていく過程を思い返す。
エグいというならそうだろうけど、肉を食べる現実の裏に
殺す私は確かにいるから。
そして生きていく私がそこにいるから。

私も、殺すことを選べる。
全ての人と等しく、たくさんのものを殺すことを選べる。
私は選ぶのだろうか。いつか選ぶのだろうか。

気持ちで人も、動物も自分も殺してしまうのだろうか。

今なら、猪の死に際のまなざしを見たかったと思う。
生きようとする、その目を見れば、もっとはやくに
「あなたが死なないでいてほしい」ということも出来たはずなのに。
私はいつ、選ぶのだろうか。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
殺すこと、を選ぶ日 うたかたの蔭にて-ユグラシアblog-/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる